震災からニヶ月以上がたった。
blackstarのメンバーは関東・東海・関西とそれぞれ離れた場所に住んでいる。
もしかしたらどこか遠くで心配してくれているかもしれない方々へ。
私たちはみんな無事です。
あの日。
東京の交通機関・通信手段は麻痺していた。
渋谷のど真ん中の会社に取り残された私が祈っていたのは、
遠く宮城の港町、海まで歩いてすぐの家に住む家族の無事だけだった。
親切な方の乗員オーバーの車で、深夜2時すぎにようやく帰宅した。
それからはパソコンとテレビ、携帯の安否情報にひたすらかじりつく。
寝ることも食べることもほとんど出来ず、ただ祈って祈って無事を信じて。
母や姉家族の住む町の情報や映像は、夜が明けても全く出ない。
ようやくお昼に出た姉家族の住む町の情報は、「壊滅状態」の4文字だけだった。
映像もなかった。
壊滅状態って何なのか、意味がわからなかった。
でも最初に安否がわかったのは姉家族だった。
津波後に姉家族に会ったという、新聞記者からのパーソンファインダーへの書き込み。
車で避難する途中、渋滞に巻き込まれた姉は、赤ちゃんを抱き、車を乗り捨てて近くの病院へ逃げた。
車はすぐに津波に飲み込まれた。
その町で唯一残っていた建物が、その病院だった。
一瞬の判断。本当に危機一髪だった。
それから友人を通じて、母の無事がわかった。
親族もみんな無事だった。
たくさんの友人が心配してくれた。
ありったけの情報を集めて教えてくれた。
「車が必要になったら言ってくれ。いつでも出すから。」と言ってくれた友人もいた。
みんなの気持ちが本当にありがたかった。
姉はもちろん、家を失った親族もいる。
原発に勤めている親族も。
避難している隙に盗難もあったりした。
そんな大変な日々を送っているのに、私に出来ることは限られていた。
救援物資を送ったり、情報を伝えたり。
関東も物不足で大したことも出来なかった。
自分の出来ることの少なさが情けなかった。
GW、ようやく再開した東北新幹線で宮城へ帰った。
いつものように出迎えてくれた笑顔を見て、やっと本当に無事を実感出来た。
思わず涙が出た。
いくら省略しても長くなってしまう、まだまだ書いていないこと、書けないことがたくさんある……そんな日々を送っていました。
それなのに長い間、何のご報告もせずにきてしまい申し訳ありませんでした。
もしかしたらどこか遠くで心配してくれているかもしれない方々へ。
私たちはみんな無事です。
そしてまた一歩ずつ、前を向いて歩いていきます。
blackstar aoi